問答のススメ

問答と云われても、違和感があるかもしれないですね。

 

国語辞典によれば…問答とは「問うこと答えること」とあります。

そのままですが。

そのままでも十分に難しいことです。

 

問いに答えることは、実は簡単ではありません。

 

問いを受け取る能力

問いを理解する能力

問いから外れずに答える能力

問いの答えを相手に伝える能力

と、色々な能力が試されるからです。

 

日常において、問う場面はそこかしこにあります。

ですが、問いを受け取り損ねて

「なんで分かるように言ってくれないの!」

「なんで言った通りにしてくれないの!」

なんていう応酬はよく体験されることです。

(口に出して云うかどうかは別として笑)

 

わたしの場合、こういう体験をするときには、

自分が問う側の時は 「どうせ伝わらないだろう」という決めつけがあり、

自分が答える側の時は「どうせ、こうして欲しいのでしょ」という決めつけがあります。

 

 

「どうせ伝わらないだろう」という決めつけとは、

「どうせ、言ったとおりにはしてくれないのだから、気をつけて監視していないとわたしの欲しいものは得られないに違いない」という決めつけです。

 

「どうせ、こうして欲しいのでしょ」という決めつけとは、

「人は楽して怠けようとするし、より良い思いをしようとするものだから、きっとこうしておけば喜ぶに違いないでしょ」という決めつけです。

 

ただ問いを聴く。

ということは、このように実はとてもとても難しいことです。

 

「問いを聴く」ことを難しくしている理由は、

五感が過去の体験で得た記憶データによって歪んでいるからです。

これは、致し方ないことです。

 

過去のデータの蓄積があるからこそ、

ティーカップはティーカップに見え、ノートはノートに見えます。

 

その認識には、過去の自分の体験した「うれしい」「楽しい」「好き」なども含まれています。その存在だけを認識しているように思えても、実は過去の様々な体験を感情をティーカップにノートにかぶせています。

それは「今ここ」ではありません。

過去の着ぐるみを来たティーカップであり、ノートです。

 

過去の着ぐるみを来た五感で見るのではなく、今の自分だけで見る。

過去の着ぐるみを来た五感で聴くのではなく、今の自分だけで聴く。

 

すると、

同じ問いが違って聴こえてきます。少しだけ違って聴こえます。

 

構えず、決めつけず、期待せず見る。

構えず、決めつけず、期待せず聴く。

 

ただ、見る。

ただ、聴く。

 

それが、問いを受け取る能力です。

まずはそこから。

 

さあ、今日も無数に受け取るであろう「問い」。

その問いを自分の過去から切り離してみて下さい。

 

問いをただ見る。

問いをただ聴く。

 

そこから、ほんとうの問答が始まります。

 

そして、意外に思うかもしれませんが

自然の中で時を過ごすことが問答する力を養います。

自然はジャッジしないので、あなたがあなたで居られるからです。

 

あなたがあなたのままで、今で居られるなら、

問いは、ただ問いとしてあなたの中に入ってきますから。